思いは力

3日前のことなんだけどさ
バイクで帰宅するとき、信号待ちしてたら前の車がいきなりバックしてきたんだ。
驚いてクラクションを鳴らしたんだけどそれでも停まらず
バイクの前輪にバンパーが当たりやがった。
しかもその車は右折して逃げていった。
流石に当て逃げされて黙ってるほどバカではないので
追いかけていってクラクション鳴らしまくったが、
それでも停まる気配が全く無い。
仕方ないから一気に抜かして前を塞いで停まらせた。
「オラァ停まれ糞ボケ!!!!」とか叫んだ気がするがあまり覚えていないぜ。
運転していたのは婆さん。
バックする時、後ろにバイクなんか居なかったとかぬかしている…。
そりゃ全く後方確認していないだけだろ。
それにバイクはライト常時点灯だぞ。
気付かない方がどうかしている。
何より、クラクション鳴らしてるのにバックしてくるのがおかしい。
目も耳も聞こえないなら免許証返納しろ。
車は簡単に凶器へと変わりうるんだぞ?
そういう物に乗ってるという自覚が無いのか。
まぁバイクのタイヤに当たったから特に損傷は無いようだ。
しかし、もしかしたらフォークやホイールが損傷してるかも知れないので
免許証を出させて住所氏名を控え、電話番号も教えさせた。
それにしても、あんな危ない年寄りが車に乗っているなんて恐ろしすぎる。
ああいうのは運転できないようにしてもらわないと…
と一日ずっと憤慨していたら
昨日、なぜか手を骨折して運転できなくなったんだそうな。
誰かの平和が守られたかもしれないな。

岐阜ツーリング

道の駅のスタンプを集めるべく岐阜県へ向かうことにした。
それにしても今日は寒すぎるんじゃないのか…?
体中が悴んで上手くバイクに乗れないよ。
うわ帰りてぇ でも行かなきゃ うわ帰りてぇと言うのを幾度と無く
繰り返しながら知多半島道路伊勢湾岸道路東海環状道路→中央道と行く。
うわぁ… トンネルの中とってもあったかいナリ…。
中津川ICで降りて国道19号を北東へ。
まずは道の駅「賤母」←なんて読むんだコレ?
数キロ戻って256号線を西に行くと「きりら坂下」
ここは定休日だった残念。
県道3号線を北西に5kmほど川沿いに行くと「五木のやかた・かわうえ」
そのまま3号線を行き、国道257号線と合流して北上すると
「花街道付知」「加子母」ちょっと戻って256を名古屋方面に行くと
「茶の里白川」。県道62号線に入って快適ルートを南西へ。
国道41号線に合流して南下すると「ロックガーデン・ひちそう」
だぜロックYOU
あとは東海環状道入り口にある「日本昭和村」のスタンプを貰って
高速で帰宅。
たった一日で7つもスタンプが集まるなんて!
岐阜県はさながらボーナスステージだな。

90年代の閉塞感

いまの若い奴は羨ましいよな?
小さい頃から当たり前のようにPCがあって
インターネットが繋げて
知りたい事をすぐに知ることが出来る
ツイッターやブログで自分の想いを対外に示すことが出来る。
本当に便利な時代だよなぁ?
とっても羨ましいよなぁ?
だがしかし、それらが無かった我々のあの頃が
間違っていた、価値の無いものだったと言えるだろうか?
インターネットなど普及しておらず、PCと言っても
ワケのわからないコンピューター言語を吐き出しているだけの代物。
ゲームソフトの攻略法をネットで調べてクリアなんて出来っこない。
結局クリアできずじまいだったソフトが何十個あったことやら。
隣の県で、隣の市で、隣の町がどんなもので何をしてるかなんて
知ったこっちゃない。
自転車で隣の市に行ったなんて言えばクラスのヒーローだったよ。
閉鎖されていたのだろうか?
あの頃の我々は見えない壁で閉鎖されていたのだろうか?
だからこそ「知」に関して貪欲だった。
今みたいにPCに検索したい文字を打ってクリックなんて
簡単すぎる時代じゃなかった。
知りたい、もっと知りたい、多くを細かく全て知りたい!
冬の気配を濃厚に感じる灰色の空の下、
我々は知識闘争に明け暮れていたんだ。
なんの慈しみも優しさもない冬の中で
「知」への渇望を駆り立てるんだ。
「知」を求めて徘徊する飢えた野獣だったんだ。
そして生み出された探究心、闘争心が今の我々を作り上げたんだ。
俺達はチワワやダックスフントじゃない、狼なんだ。

20代のLAST SUMMER

今年もいつもの様に夏が終っていく。
しかし今年は何故かいつもより悲しい。
なぜ? それは今年が20代最後の夏だったからだ。
若さにしがみ付こうとしても
時の流れは無情に押し流す。
若いと言うだけで何か救われていたあの頃は
遠い思い出の中の物となりつつある。

俺の青年時代はどんなものだっただろうかと思い返す。
………
まぁ悪くは無かったかな。むしろ良かった方だろ。
他の人になったこと無いから比較出来ないけどさ。
でもまだ少し足りない。
中年時代という新たな物語の始まりには
青年時代の素晴らしい結末が必要だ。
まだ、まだ行くか? 夏の終わりを求めて。