僕の生まれた街と僕の育った街

私は純粋な山形人ではない。
小学校に入る前までは東京に住んでいたのだ。
東京のどこだったかは詳しく知らなかったし、
何故か東京での記憶も一切無くしていたが、
今住んでいる山形こそが私の知る私の全てだと思い込んでいたため、
別に大した問題とも思っていなかった。
だがしかし、それは少しづつ変化の兆しを迎えている。
山形を離れるという決意と、新しい世界への渇望、
そして一旦全てを放棄するという覚悟を成就させるために、
それを確認したい。
それが無くしたものなのか、それともいらないものだったのか、
取りもどす必要があるのか、封印しておくべきものなのかはわからないが、
どうしても知っておきたいのだ。
そもそも、新たなものを成就するためにそれが必要なのではなく、
無くしていたそれが根幹となって、今のこの思いがあるのかも知れない。
とにかく、今月末にそこへ行く。
いや、初めて行くわけでは無いのだから、「そこへ帰る」
その事について親から詳細を聞くと、
やはり行ってしまうのかといった表情を浮かべているのだった。
その「行ってしまう」という事について、
端的にの意味なのかそうでない意味なのかは
私と親の間での意味の相違は無さそうだ。



そこに待つものが最後のカケラであってくれればいいのだが。