後ろ向きに行こう

30歳間近になると、若かりし頃を思い出すことが増えてくる。
中学生の頃、友達達とバカなことばっかりして遊んでた楽しい思い出
高校生の頃、クラブにエネルギーを注いでいた楽しい思い出
専門学生の頃、友人と毎日飽きもせず大好きな車やバイクの話をしてた楽しい思い出
二十代前半、日本全国を旅していた楽しい思い出
どうして思い出は若干色褪せながらも美しくあるのか?
それは現状に満足していないから思い出に浸るのだ。
…とは言え、楽しい思い出はその頃に実際それほど楽しかったかと考えてみる。
答えは「NO」と言わざるを得ない。
その頃だって、あぁ昔は良かった。今は不満だ。と嘆いていた筈だ。
まぁ思い出なんて自分に都合よいことしか覚えていないもの。
後ろ向きな思考の自分が「いつでも今日が一番楽しい日」と言うのは不可能なのだ。
しかし、こんな事を考えているこの時でさえ、月日が経てば甘美な思い出になるに違いない。
そう考えると、「いつでも今日が一番楽しい日」
というのは認識が出来ないだけで確かに存在するものとなるのか。
…過ぎ去って初めて分かる価値。その現状に置かれている時は見えない価値。
そりゃ自分は後ろ向きなんだもん。
進む先は見えないし、後ずさりして初めて足跡が見える。